お茶の水界隈をウロウロ…
反対側からも2000系。
02系B修車。いずれ、ここを走ることは無くなりそうですね。
ここに来た目的の一つにお茶の水橋に残る都電の軌道敷が現れたため。
都電の廃止後にアスファルトで埋められ、70数年を経て再び日の目を見た軌道敷。しかし、改修工事により軌道敷は撤去されす。
振り返って撮影。こちら側もかつては、レールが一部露出しておりましたが、撤去されたようです。
上画像2つは、別の時期に撮影したお茶の水橋。
橋の継ぎ目部分に僅かにレールが露出しておりました。
アスファルトで軌道敷を埋めたことがよく分かります。
1車線分を作業帯として規制し、改修工事を進めているようです。
今となっては貴重な都電の痕跡が消えることとなります。
お茶の水界隈といえば、階段好きな私の中では男坂と女坂が浮かびます。
足元に佇む男坂の石碑。裏には昭和50年1月に町内会で設置したことが読み取れます。
一方、男坂は、1924(大正13)年に作られたことが案内柱に記されており、坂の開通からおよそ50年を経て1975(昭和50)年に石碑が設置されたことになります。記念碑的なものでしょうかね。
男坂と名乗るだけあって、真っ直ぐ急な階段。
男坂の案内柱。
古風な手すり。ただし、開通時のものではなく、施工の雰囲気から後付けな感があります。
男坂を下から。
男坂があれば女坂もある。
階段に向かって左手には女坂の石碑。男坂の石碑と同じ経緯が記されておりました。
男坂は真っ直ぐな線形で踊り場が一つに対し、女坂は屈曲した線形で踊り場が2つ。
女坂の手すりは最近のタイプに更新されているものの、男坂の手すりを模したであろう形状の支柱になっている。
女坂の石碑は上段、下段に存在しております。
一方、男坂の石碑は上段のみ存在。もしかしたら下段にも石碑が存在したのかも。
それにしても、3つの石碑どれを見ても書体が異なっており、彫刻した人の個性が現れているのではないかと。